近況報告17

2020年6月22日

オハイオ州立大学

沖本 民生

 

 6月になりラボに行けるようになりました。もうすぐ開く、もうすぐ開くとじらされてきましたが、ようやく本当に開きました。ただ、開いたとはいっても時間制限、人数制限ありで、元通りではありません。2か月程度実験をストップし、ひきこもっていましたので、特に報告すべき近況もありません。しかし、私の予想に反して看護師さんの一部にこの近況報告を読んでくださっている方がいるようなので、頑張って書いてみようと思います。えぇ、先月ケーキを作っているとか花を愛でていると書いたのもイメージを気にしてです。

 さて、この1か月、1日1度の散歩以外はひたすら家にこもっていたのですが、不思議な出来事が2つあったのでそれをご報告しようと思います。

 1つ目は叔母からの手紙です。コロナウイルス感染がアメリカで広がっていることを心配した叔母が手紙をくれました。中には私の身を案ずる手紙とともに、私の母が亡くなる1週間前に叔母に宛てた絵手紙が入っていました。母は私が保育園に通っていたころに子宮癌が見つかり、入退院を繰り返していました。そして私が高校1年生の夏、母は最期の時を自宅で過ごしていました。しかし、まだ幼稚だった私は、母の命が長くないことは分かっていても、死期がまさに差し迫っているとまでは分かっていませんでした。また、分かろうとしなかった気がします。その夏、私は通っていた高校主催のニュージーランドへの研修旅行に行きました。出発時、母は歩いて玄関まで笑顔で見送ってくれました。母が叔母に宛てた手紙には「おかげさまで調子よく過ごしています。民生はニュージーランドで楽しく過ごしているようです。はがきが届くよう待っているところです。」としっかりした字で書いてあります。しかし、体調が良いのは続かず、ニュージーランドへ父から連絡がありました。昔の映画で見たことがある「ハハ キトク スグカエレ」でした。すぐに帰りの飛行機を手配してもらい旅行を切り上げて帰りましたが、自宅に帰った時には母は呼吸も不安定になっており、そのまま翌日亡くなりました。あまりの変化に驚きや後悔、悲しみ、不安、怒り、いろいろな感情がこみ上げてきたのを覚えています。死期を悟りながらも息子を笑顔で見送った時の母はどんな気持ちだったのか。自分も親になり、自分だったら笑顔で見送れるかと今は別の気持ちも湧いてきます。母が待ってくれていた私からの手紙は残念ながら、葬儀後に届きました。エアメールだったので、投函から1-2週間で届いたと思います。叔母からの手紙を見ると投函日が4月20日となっています。どこをどう飛んできたのか分かりませんが、私のもとに届いたのは6月11日で、この日は亡き母の誕生日でした。まるで叔母が心配してくれているように、母も心配してくれている、見守ってくれているという気がしました。また、モチベーションが保ちにくくなり、たるんだ日々を送っているのを見兼ねて叱咤してくれているような不思議な感覚になりました。叔母の優しい心使いに感謝です。

 2つ目は体重計です。コロナウイルスで自粛期間中、散歩以外は全く動きませんでした。でもそれは自覚していたので、食事量にはそれなりに気を遣っていました。にもかかわらず、先日乗った体重計は人生で最重量をたたき出したのです。しかし、不思議なのはそこではありません。不思議なことにそれ以来体重計が動かなくなりました。電池は入れ替えたばかりです。まるで体重なんて気にしなくてもいいんだよ、たるんだ腹でもいいんだよと優しく語りかけてくれているかのようです。決して私の体重で壊れたのではないのです。私を気遣ってくれる優しい体重計ですが、家族のためにももうしばらく健康に過ごしたいので、このままお見送りし、新しい体重計を購入、ダイエットを始めようと思います。ただ、明後日はおいしいタコスが半額なので、最後にそれをお腹いっぱい食べて、明々後日から開始します。とりま、アマゾンで新しい体重計と着るだけで痩せられるTシャツ、飲むだけで痩せられるサプリメントを探してみようと思うので、この辺で終わりにします。

 長文にお付き合いくださりありがとうございました。叔母、母だけでなく、私の周りのあらゆる人に感謝しています。

 今後ともよろしくお願いいたします。